2016年8月31日水曜日

ここ三ヵ月のこととイームズハウスの立て看板 2016/8/31

6、7、8月と狙って何もやりませんでした。もともと変なセールはしないのですが、クリアランスもキャンペーンも、なにかしらのサービス期間とか、まったく何も。 (Kartellはメーカー側の判断ですのでしょうがないです)
お店はこの時期どの業界もセールだなんだのやるじゃないですか。何でもかんでもセールだとか割引だとか、そういったことではこの先、良い結果が待っているとは思えません。

期間に関わらず、いつでもお客さんに対しては均一に良い対応をするべきじゃないのかと。
持てる知識や提案で、その時の最良の選択で欲しい時に買ってもらう。それが最高。
誰から、何処から買うかが最も重要です。

だからこのどこでもセールしているこの時期だからこそ三か月間なにもしませんでした。
宣伝もせず、ブログだけ書いてました。メルマガとかももともとやってませんし。

それでダメだったら自分に価値が無いということだからもうダメでいいと思って。


結果ですが、おかげさまで過去最高の売上利益でした。
利益はほとんど今後の仕事への投資にしか使っていません。

でも売り上げ件数はものすごく減りました。価値をわかってくれる人だけが購入してしてくれた感じです。

この社会には良識ある素晴らしい判断をする人たちがまだまだいるということです。ありがとうございます。そういった人々のおかげで私はお店をやってこれていますし、この業界で生きていけます。
私のお客さんはずっと私のお客さんですので、それ自体が今後メリットになるように頑張ります。
これから助けることも助けられることもあるはずです。

オンラインショップで注文してくれる人達もですよ。会話をすることもないですが、ちゃんと覚えていますので。


今後そういうことをしないわけじゃないので、何かしらのサービス期間的なことはすると思いますよ。


さて、これで終わるとなんかちょっとあれなので写真を一枚だけ載せますね。


写真はイームズハウスの庭にある看板です。

1949年のクリスマスイブにチャールズさんもレイさんも引っ越してきたそうです。ロマンチック。
そしてエンドまでここで暮らしました。

写真わざと大きい画像サイズで掲載したので、拡大して頑張って読んでください。


ああ、またイームズハウス行きたい。そしてまた入りたい。


じゃ、来月も宜しくお願いしますね。


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愛知県名古屋市中区栄3-33-28 Uビル2F
TEL : 052-243-1950

2016年8月30日火曜日

マルチプラーの新色がでました。 2016/8/30

じゃあ今日もマルチプラーの話ですよ。


そのマルチプラーに新色が登場しまして、今日入荷しました。
日本初上陸のほんとうに僅かしかない分を一個づつ分けてもらいました。
なので、今回は見せるだけに近いですね。


パステルな色合い。
シクラメンピンク(Cyslamen Pink)、プリムローズイエロー(Primrose Yellow)、グラスグリーン(Grass Green)、ゲンチアナブルー(Gentian Blue)の4色が新色です。

以前はイエロー、ネイビー、グリーンと、原色の感じのがラインナップにあったのですが、現代に合わせてペールカラー、あれです、淡いカラーをチョイスしたんだと思います。私が思うだけですよ。
いや、ペールカラーって言うほどペールじゃないですけど。


これでだいぶカラバリが増えました。
半透明オレンジは終了予定なので、本来はそれなしで考えてください。

マルチプラー自体は良いけど、ビビットな色だからちょっとなあ。なんてことを思っていた人には良いんじゃないでしょうか。新色。


ハングイットオールみたい。



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2016年8月29日月曜日

マルチプラーの半透明オレンジ終了 2016/8/29

今日から二日連続でマルチプラーの更新しますの予定です。まとめて更新すると伝えることが多くなってぼやけてしまうので。あとどうでもいい雑談が多いですから。私は。


さて、それでですね、またマルチプラーの製造終了カラーの連絡ですよ。
この間マルチがなくなってから次いでです。


Transparent Orangeという半透明のオレンジがすでにイタリー本国では製造終了して、国内在庫限りとなっています。
でもその国内在庫ももうないのとほとんど同じなんですけどね。

まだ私がお店で持っている在庫の方が数量が多いぐらいです。


9年ぐらい前までは半透明のマルチカラーやコバルトなど、半透明にいろいろバリエーションがあったんですよ。覚えてます?いやむしろ知らない人の方が今は多いですか。
当時販売していたので、1個ぐらいは自分用に買っておけば良かったなって今になって思います。

ABSとかでの半透明のプラ製品はもう時代じゃないのかもしれませんね。
90年代から00年初期はまだよく見かけたものです。代表的なのは初代のiMacでしょうか。
あまり好まれづらい素材です。PMMAとかの完全な透明は好まれるんですけども。

しかしそれも一周周ればヴィンテージ的な良さで好まれる時代が来るのかもしれません。


不透明色が今¥4,300ですけど、半透明オレンジは¥5,500。ちょい高いです。

マルチプラーの値上げは半透明とアルミには関係ないので急ぐ必要はないのですが、そもそもの半透明オレンジは売り切り終了なので、無くなったら後で後悔するかもねという人は買っておいた方が良いかもしれません。


30年後には価値が出ると思いますよ。


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2016年8月28日日曜日

ミース・ファン・デル・ローエの話 2016/8/28

じゃあ今日は昨日バルセロナチェアについて書いたので、せっかくなのでミースさん自身も書きますね。
しかし、昨日のバルセロナチェアの件ですけど、別の資料にはKnollからは当初クロームメッキで仕上げていたと書かれていましたよ。ステンレス磨きは1964年からだって。両方ともKnollの公式の物なんですけど、どれが本当なんですか??


Knoll Store aoyamaより http://team-net.co.jp/knoll-studio/mies-van-der-rohe/

Mies van der Rohe (ミース・ファン・デル・ローエ)
1886 ~ 1969

1886年 彼はドイツのアーヘンで石工の息子として生まれました。
父親のショップで働いたり、地元の会社で働いたり、その後インテリアデザイナー&建築士のブルーノ・パウルさんのオフィスで働きます。
彼は正規の学校教育を受けていませんでした。

1908-12年 Peter Behrensさんの建築事務所で働きます。
これが彼の建築人生の始まりらしいです。

1912年 自身の建築事務所を開設します。

1913年 実業家の娘と結婚。1918年離婚。

1927年 シュッツガルトで開催されたヴァイセンホーフ住宅博覧会の副会長に就きます。
博覧会ではウォルター・グロピウスさん、ル・コルビジェさんミースさんがデザインした住宅と家具が展示され、ミースさん自身も家具、住宅を展示しました。
これがいわゆるインターナショナルスタイルといわれる建築様式のスタートとなり、ミースさんも代表的建築家としての地位を確立することになったそうです。


バルセロナチェア Knoll aoyamaより
1929年 ワイマール政府の要請により、世界万国博覧会のドイツ政府館の設計を依頼され、二ヶ月で完成させます。
ここにあのバルセロナチェアが展示されたんです。

1930年 トゥーゲンハット邸を設計。
ここであのトゥーゲンハットチェアが生まれますけど、いまKnollでは販売してないですね。

1930年 ドイツのあのバウハウスの3代目学長に就任します。
でもナチスの弾圧により1932年に閉校します。

1932年 ミースさん自身で私立バウハウスを開校しますが、これもなにかあって1年後に閉校を余儀なくされたそうです。

1938年 米国に亡命。
今のイリノエ大学で教鞭ととります。

1948年(47年説あり) Knoll社に家具製造権を与え彼のデザインがリリースされます。

1946-52年 シカゴのレイクショア・ドライブ・アパートメントを設計。

1951年 医者のファンズワースさんの自邸を設計。あのファンズワース邸です。
いろいろあって、いろいろもめたみたいです。

1958年 NYのシーグラム・ビルディング設計。

1968年 ベルリン国立美術館のギャラリーをデザイン。これが最後の仕事となりました。



よく近代建築の3大巨匠のひとりとしてカウントされています。フランク・ロイド・ライトさん、ル・コルビジェさん、そしてミースさん。
ウォルター・グロピウスさんを入れて4大巨匠と呼んだりもします。

彼の有名な台詞に「God is in the details」 がありますよ。
意味としては、”神は細部に宿る”です。

まあ有名な人なのでご存じのストーリーだったかもしれませんね。


じゃ、来週も宜しくお願いします。


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2016年8月27日土曜日

どうしてバルセロナチェアがKnollで製造販売するようになったのか 2016/8/27

バルセロナチェアを置きたいです。
スペースがあれば。予算は別に大丈夫です。


だからバルセロナチェアの話だけします。
現物はKnoll Store青山行って買ってください。もしくは青山一緒に行きましょう。


Knoll 青山引用 http://team-net.co.jp/knoll-studio/250lc/
まえ、バルセロナチェアは最初からKnollじゃないって書きましたけど、http://case-study-shop.blogspot.jp/2016/04/201646.html
どうしてKnollで作られるようになったかご存じの人は少ないと思います。

ちょっと書きますね。


ミース・ファン・デル・ローエさんのストーリーを書かないといけないので、そこは端折っていきます。

ミースさん、いろいろあって米国に亡命します。
そこでシカゴのイリノエ大学で教鞭をとっていました。
で、そこで先日書いたフローレンスさんに指導をしていたんですけど、これきっかけで後のフローレンスさんと師弟、そして友人としての付き合いが始まります。

ミースさんは米国で自分のデザインを製品化したいと考えていたのですが、2社ほど家具会社に試作させてみたけど期待通りのクオリティにならなかったそうです。

そこでフローレンスさんに相談してみたところ、Knoll社にて研究開発されることになったんです。

1929年のオリジナルバルセロナチェアはミースさん的に納得していない部分があって、それがフレームのビス止め接合部がむき出しになっていたことでした。

この解決をミースさんはKnoll社に要望したんです。なんとかしてよと。見苦しいから。と。

いろいろ考えた結果、当時としては大変高価なステンレススチールを採用することにしました。
これにより各部を溶接後に研磨して継ぎ目のない鏡面仕上げが可能となったんです。
さらに、ダイス加工することで研磨後にピンホールの引きキズを無くすという技術を開発しました。

おかげでフレームに全く継ぎ目のない一本のスチールのような仕上がりに見えるようになりました。
それと、ステンレスの弾力により、座り心地もアップ。

これにミースさんがものすごく満足してバルセロナチェアだけでなく、自身の他のデザインもKnoll社に家具製造権を与えたんです。

契約書の中で、特に以下の部分をミースさんはハンスさんに強く求めたそうです。


” 全ての製品はミース自身によって承認されたドローイング、サンプル、モックアップに基づき製造されなければならない ”


フローレンスさんはミースさんを心から尊敬していました。
バルセロナチェアはKnollのシンボルとして守っていきたいと考えていたそうです。

そんなわけで、バルセロナチェアの製造に関しては、細心の注意を払っているそうです。


それで今日までKnollが正規で製造販売しているんですよ。

参考になりました?


本当に細心の注意を払って製造しているんでしょうかね。

工場連れてってください。


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2016年8月26日金曜日

シェルチェアの素材の選び方 2016/8/26

最近ですね、デザイナーの話ばかりだったり、他ごとでも細かい違いの話や一般向けじゃない家具の話ばかりで、新規さんへ目が向いていませんでした。

ちょっと連日の長文での箸休めとして、今日は基本に立ち返って私が思うシェルチェアの選び方を書きますね。

Herman Miller社の現行イームズシェルチェアには素材が3種類あるじゃないですか。シェル部分の素材ですよ。
その素材の違いはどうチョイスするべきなのかを書いてみます。


その3種類は。


Herman MIller Japan HP引用 http://www.hermanmiller.co.jp/products/seating/multi-use-guest-chairs/eames-molded-plastic-chairs.html
ポリプロピレン製
¥40,000(税別) ~

イームズプラスチックシェルチェアという名前です。


Herman Miller Japan HP引用 http://www.hermanmiller.co.jp/products/seating/multi-use-guest-chairs/eames-molded-fiberglass-chairs.html
FRP製
¥58,000(税別) ~

イームズファイバーグラスシェルチェアという名前です。


Herman Miller Japan HP引用 http://www.hermanmiller.co.jp/products/seating/multi-use-guest-chairs/eames-molded-wood-chairs.html
プライウッド製
¥82,000(税別) ~

イームズウッドシェルチェアという名前です。

これらの素材です。


いざ自分がシェルチェアが欲しいな!となったときに、どれを買うべきなのか。


まあ簡単な答えは予算ですよ。

値段がご覧の通り全然違いますので、自分に合わせた予算で選べば良いです。


でも、うちのお客さんに多い傾向なのが、値段じゃなくて好みで決めたいという場合です。
私もよく「もし値段が一緒ならどれが欲しいのか」ということはシェルチェアに限らずどんな家具にでも言います。

でもそれには、判断材料が必要です。
素材は違うのが、どういったストーリーがあって、どうして存在するのか。
それを知らないと、そもそも好みにたどり着けない。

何を判断にして自分の好みに合うかがわからないということです。 これ伝わります?


私が思うにこうです。


ポリプロピレン製(以下PP)ですが、これは復刻したシェルチェアにしか存在しない素材です。

もともとイームズのシェルチェアはハーマンミラー社で1949(48)年から製造販売されていたものです。最初はゼニス社で製造ですよ。
それを80年の終わりまで、続けていました。その時の素材はガラス繊維の入った強化プラスチック、いわゆるGFRPという素材でしたよ。90年の初めまでは売ってました。
ただまあこれが、環境に良くないよね。なんてことで製造を辞めまして、長らくハーマンミラー社ではシェルチェアを販売してなかったんです。

それからシェルチェアを最初に復刻製造したのがヴィトラ社だったんです。
それが2002年ぐらいだった気がするのですが、その時に素材をPPにしたんです。
パントンチェアとか他の家具でもPPにしたのが多かったですね。
その時のカラーですが、50年代からあるようなカラーをPPで再現した感じでした。

後に2010年からはハーマンミラー社は自前でPPのシェルチェアを製造販売するようになりました。
2010年でしたよね・・・?

今ではペールカラー、つまり淡いカラーが多く、カラバリも豊富です。カラーチョイスも過去に存在した色を踏襲せずに、現代のニーズに合わせた色合いが特徴です。
素材と相まってナチュラルな空間にも合わせやすい素材だと思います。

イームズの椅子だからと言ってアメリカンミッドセンチュリー感に薄いので、イームズは好きだからシェルチェアは欲しいけど、北欧テイストに合わせたいとか、現代的な空間にしたいとか、薄めの木の家具に合わせてライトな部屋にしたいとか、そんな要望の場合はPPだと思います。


ファイバーグラスシェルチェア(以下FRP)ですが、これは2014年に復刻した素材です。
先述の通り過去にFRPで製造を辞めた経緯があっての復刻ですが、今回はリサイクルできる環境に配慮したFRPというのが売りです。
だから厳密に言うとヴィンテージに存在するようなFRPとは全く同じ素材ではありません。

このFRPはヴィンテージで存在した素材ということを意識していますので、カラーもヴィンテージに存在するカラーを踏襲しています。
当時のシェルチェアにあったカラーを再現しているんです。
だから最近では見ないような結構きつめの色合いです。オールド感があります。

だから、これ単体で置いてあると、まさにイームズのシェルチェア!アメリカンミッドセンチュリーの象徴という感じがします。
私としては馴染みがある素材はこちらです。

FRPは存在感が違いますよね。主役感があります。
濃い目のダイニングテーブルや空間に合わせると、渋くなり、まさに格好良いと呼べる空間となります。

さらにこの素材は経年劣化が味になるということがあります。
傷がついても日焼けしても、それが味です。使い込んでいく楽しみ、長年の変化を楽しむならFRPですね。

それからヴィンテージの物が好きな人や、イームズ自体が好きな人、重厚さを求めたりする人にはこの素材です。


ウッドシェルチェアはプライウッド、成型合板ですね、これは2013年に新発売した素材です。
ヴィンテージでは存在しません。

昔、構想はあったんですよ。

イームズさんは、シェルチェアを成型合板で作りたかったんです。
でも当時の技術ではこの形を作ることはできませんでした。
試作品はいくつも残っているんです。

それがとうとう実現したわけです。60年越しです。
ハーマンミラー社の3D合板技術で生まれたわけです。
完全にシェルチェアの形を再現しています。これすごい。
それでいて他のシェルチェアと同じ保証期間5年を実現しています。

もうこれはですね、見た目の素敵さで選ぶものだと思います。
単純に見た目とクオリティで優秀な椅子です。
木の椅子としてこのデザイン性の高さ、座り心地の良さ、配色やバリエーションの多さ、そして値段。どれをとっても優秀です。

だからイームズとかハーマンミラーとか抜きにしても評価されます。

木が好き、でもイームズの椅子が欲しい。でもプライウッドチェアがクラシックなデザインすぎて部屋に合わない。という場合はこのウッドシェルです。

例えば夫婦でかたや北欧が好きでナチュラルな木の色の家具で統一したい、かたやイームズのシェルチェアが好きで欲しい。そんなときはウッドシェルチェアのホワイトアッシュにすると折り合いが付きますよ。

元をたどるとイームズさんもアアルトさんの影響を受けているので、その部分はスカンジナビアンと繋がってはいるんですけどね。

ウッドシェルはそうしたことに魅力を感じると良しです。



以上、あくまで私のこの時思いついた走り書きの偏見です。

なんか1mmぐらいは参考になると良いですね。


お店ではもっとちゃんと提案できますよ。
本来こういったことは、お客さんの求めるものや望むものをヒアリングして、こちらからいろいろ提案したしたりするものですから。


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2016年8月25日木曜日

イサム・ノグチの話 2016/8/25

今日は書きすぎました。
有名人なのでたくさん情報が残っているんですよ。これでもかなり端折って書いたほうです。


Isamu Noguchi (日本名 : 野口 勇)

彼の作品はHerman MillerからもKnollからも製品がリリースされています。
あとVitraからもですね。スツールが何故か今はKnollじゃなくてVitraになっているんです。

ですが、彼は彫刻家。です。


1904年 彼はロサンゼルスで生まれました。両親は、日本の詩人である野口米次郎さんと、米国の作家・教師であるレオニー・ギルモアさんです。日系アメリカ人ということになります。

その二年後に日本へ帰ってきました。

日本では森村学園幼稚園や横浜のセントジョセフ学園など当時としてはかなり恵まれた学校教育を受けていたそうです。
しかし、両親の不仲、確執、といった環境により、父親への不信や反発から1917年に母親が彼を米国に連れ戻しました。
彼の心の傷を癒そうとインディアナ州にある実験学校(?)に入学させようとしましたが、その前に廃校になってしまいます。

途方に暮れていた彼に↑その学校の創立者であるE.A.ラムリーさんが手を差し伸べ、彼の面倒をみるべく知人の家に下宿させハイスクールに通わせます。
ここから8年のあいだ母親とは会えず、便りも仕送りもない状態だったみたいです。

ラムリーさんは彼のことを考え医者になることを薦めます。が、彼はアーティストになることを望み、コネティカットに住むグッツォン・ボアグラムさんという彫刻家に預けます。
でもボアグラムさんとは反りが合わず三ヵ月で別れます。

1923年にニューヨークのコロンビア大学に医学部に入学します。
ラムリーさんの友人たちが彼のために学費を出してくれました。彼自身も夜はレストランで働きながら通っていたそうです。

そこに突然母レオニーさんが現れます。
彼女は大学に通いながら美術学校にも通うよう彼を説得します。
そしてレオナルド・ダ・ヴィンチという彫刻学校に通わせます。
その三か月後には学内で個展を開くほど才能があったそうですよ。

グリニッチ・ヴィレッジにアトリエを持ち、彫刻協会の会員にも選ばれ、彫刻の道に専念します。

1927年 パリに留学。

1929年 ニューヨークに戻り初の個展を開きます。しかし世界恐慌のためか作品が一点も売れず。

1930-31年 日本、中国など極東旅行にでました。

第二次世界大戦勃発
彼は望んでアリゾナの日系人収容所に入ります。
実はそれ以前にロブス・ジョン・ギビングスさんからコーヒーテーブルの模型依頼を受けていたのですが、何の音さたもなかったそうです。
でもこの収容所で読んだニューヨーカーに彼がデザインしたコーヒーテーブルが若干形を変えてギビングスデザインとして掲載されていることを見つけます。

彼はそれに憤り、それを超える優れたテーブルを作ろう!と、後にハーマンミラー社からコーヒーテーブルをリリースしますが、それが、



Herman MIller製ですけど昔の写真ですからね
このコーヒーテーブルです。
もともとのデザインの元ネタは妹に送ったテーブルだとか、当時のMOMA館長の、えーと、誰でしたっけ?のためにデザインしたテーブルとも言われていますよね。
その前にこんな話があったりします。

妹に送ったプレゼント説は、あの円柱の照明だよ説もあるんですけどね。あの三本脚のですよ。

1947年にデザインされたこのテーブルは、ジョージ・ネルソンさんからの依頼でした。
ここからは彼はインテリア・家具のデザインもするようになります。

1950年 銀座で個展を開きます。

1951年 再度来日した際に、岐阜提灯との出会いによりAkariシリーズの製作を開始します。
同年 シャーリー・山口(山口淑子)さんと結婚します。後55年に離婚。

1954年(55年?) 友人でもあったハンス・ノルさんに彼がデザインしたワイヤー組のスツールが目にとまりKnoll社にてリリースされます。
後にテーブル類も作られますよ




Knoll Store青山引用 http://team-net.co.jp/knoll-studio/311/
これですね。


1961年 米国のNYCのロングアイランドシティにアトリエを構えます。

これ以降は、基本的に彫刻の仕事とAKARIの製作してしていません。
グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館、草月会館、アート・インスチュートなどなどなど、多くの場所で制作発表されます。

1970年には大阪万博にて噴水をデザインしましたよ。 (まだゴルフボールみたいなやつ残ってますよね。)

1984年 コロンビア大学より名誉博士号を授与され、ニューヨーク州知事賞を受賞します。

1987年 アメリカ国民芸術勲章を受勲。

1988年 札幌市のモエレ沼公園の計画に取り組みますが、同年12年30日NYCで心不全により亡くなりました。


ベルトイアさんと共通する部分があるなって私は思います。
それは、二人とも彫刻家であり、家具デザイナーではないということです。
でもその彼らの家具が名作として現代にも残っているのは優れた美的センスだからでしょうね。


彼らのことを知ってこそ、彼の作品を評価できると思いますよ。


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2016年8月24日水曜日

フローレンス・ノルの話 2016/8/24

せっかく昨日ハンス・ノルさんのことを書いたので今日はフローレンスさんにします。
次はだれを書きましょうかね。


Knoll青山から http://team-net.co.jp/knoll-studio/florence-knoll/
Florence Knoll (フローレンス・ノル)
1917 -

Knoll社を語る上で絶対に外せない重要人物であり、優れたデザイナーでもあります。


1917年 彼女はミシガン州サギノーにあるパン屋の家に生まれました。生まれの名前はFlorence Schustです。

12歳の時に孤児になり、銀行家の後家人が、彼女は早くから建築に興味があったことから
クランブルックアカデミーに隣接したキングスウッドスクールに入れました。
クランブルックアカデミーの学長であったエリエル・サーリネンさんは、彼女を養女として迎えいてました。
そんな訳でエーロ・サーリネンさんとは義兄弟ということになります。

当時のクランブルックアカデミーには、チャールズ・イームズさん、レイ・カイザーさん、ハリー・ベルトイアさん、ドン・アルビンソンさん、エーロ・サーリネンさんなどなどなど、後の伝説たちが在籍していました。
そこでフローレンスさんは"Shu"というあだ名で親しまれていたそうですよ。

1937年(38-39年説あり) ロンドンに留学しAAスクールに通います。しかし、第二次世界大戦の影響で二年で帰国することになります。

1940年(41年説あり) エリエルさんとアルヴァ・アアルトさんの推薦で今のイリノエ工科大学に入学。
そこではミース・ヴァン・デル・ローエさんの下で勉強しました。

1941年 ボストンのマルセル・ブロイヤーさんとウォルター・グロピウスさんの事務所で働いた後、ニューヨークに行き、Harrison and Abramovitsに就職し、そこでハンスさんと初めて会います。

1943年 ハンスさんから仕事の依頼があったのがきっかけでKnoll Companyに雇用されます。

1946年 ハンス・ノルさんと結婚。

Knollにおいて彼女はエーロ・サーリネン、ハリー・ベルトイアさん、ミース・ヴァン・デル・ローエさんとの交友関係からKnoll社から製品をリリースできるように貢献しました。
また、彼女の建築的な考えで、オフィスの効率化や問題点を解決し、顧客のニーズにも答え、そこにKnollのモダニズムを取り入れるノルプランニングユニットという画期的な概念を提供していきました。
IBM、GM、CBSといった大手有名会社で取り入れられましたよ。

1947年 Knoll Textilesを立ち上げ、家具だけでなく内装にも向けた高品質なテキスタイルの販売を始めます。

1955年 ハンスさんが自動車事故で他界。

1957年 実業家?資産家?と再婚。

1958年 Knoll社の社長に就任します。
55-58年の間の代表はよく知りません。ハンスさんが亡くなったあとKnollを率いていたのは彼女らしいのですが、社長に就任したのは58年で合っています。

1960年 彼女はKnoll社長を退任し、しばらくはデザインディレクターとして仕事をしていたそうですが、1965年にこの業界自体を引退します。


その後はフロリダで暮らしているとかどうとか。


彼女はKnoll社に置いて家具のデザインをいくつも残していますよ。



Knoll US キャプチャ
Knollの思想を凝縮したような、都会的で洗練された素材選びとデザインだと思います。
そして、ミースさんやバウハウスの影響を受けているのでしょうね。


フローレンスさんはデザイナーであり建築家でもあったとともに、企業家でもあったことが重要です。
ハンスさんとフローレンスさん、二人を知ってこそKnoll社のことを理解できます。

ちゃんと覚えておいてくださいね。


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2016年8月23日火曜日

ハンス・ノルの話 2016/8/23

今日あれです、デザイナーの話を書こうと思って誰にしようかなと考えていたのですが、ハンス・ノルさんを書くことにしました。思いついたので。
デザイナーじゃないっていう。

Knollをノールではなくノルと表現してますので、人名もノルで統一しますね。


カメラで直撮り本を
Hans G. Knoll (ハンス・G・ノル)
1914 - 1955

1914年に彼はドイツのシュッツガルトで生まれました。

その彼のストーリーを書くには、Knoll家について説明をしないといけません。

彼の祖父ウィルヘルム・ノルさんはシュッツガルトで家具工場を経営していました。
ウィッテンベルグ王家の皮革・工芸品ご用達の商人で、大変に豊かな時代も相まってギリシャ詩集を楽しみ、人道主義を教育理念とする豊かな紳士であったそうです。

その息子、つまりハンスさんの父であるウォルター・C・ノルさんはKnoll家の家訓である、子供たちは、一人で外国に行き勉学と仕事を経験して自力で一人前になる。ということにならい、1897年の23歳で渡米し輸入会社に勤務し、その後1901年から皮革を加工する機械の輸入会社を経営したそうです。
1907年にウィルヘルムさんが亡くなり、弟のウィリー・ノルさんとともに、ウィルヘルムさんの会社を引き継ぎ成功させます。
1925年にウィルヘルムさんから引き継いだ会社は弟のウィリーさんに任せ、54歳になったウォルターさんは「WALLTER KNOLL」社を設立します。

あのウォルターノル社ですよ。知らなかった人けっこういるんじゃないかと思います。


そんな家系ですので、ハンスさんも独立心に富んでおり一人イギリス、スイスと留学をし、イギリスではデザイン会社を創立したそうです。

1937年 渡米。

1938年 ニューヨーク72番ストリートに「Hans G. Knoll Furniture Company」を創立します。
彼はそこを"Factory No.1"と名づけました。
最初の仕事は、ドイツから持ってきた椅子を制作したことみたいです。

最初単純なデザインで価格も廉価なものを中心に製造販売していました。
しかし、多くの別会社にデザインが盗用されるようになったため、単純さを敬遠し、凝ったデザインに、高価格、模倣の難しい家具を製作するようになっていきました。
それが現在のKnoll社を形成していますね。
 
1941年 ペンシルバニアに製造工場を購入します。そして、ジェンス・リゾムさんと出会い一緒に仕事をします。
1942年にはKnoll社のカタログが初めて発行され、広告にはRisom Chairが使われました。

1943年 フローレンス・シュスト(シュー)さんを仕事を依頼し、彼の会社に雇います。

1946年 フローレンスさんと結婚します。フローレンス・ノルになったわけです。

会社自体はここから急速に多くのデザイナーとコラボレーションし、過去の家具作品を復刻したりと大きな発展を遂げます。
1955年には世界8か国にショールームがあり、工場を3つも持つほどになっています。

しかし。

その1955年 41歳の若さで彼はキューバで自動車事故によりこの世を去ります。


ハンスさんは実業家でありセールスマンとして優秀でしたし、芸術思考も強く、アメリカのモダンファニチャーの発展に大きく貢献した人物です。


家具だけじゃなく、そのデザイナー、会社、創業者まで知っているぐらいが最もそのその製品を理解できると思います。

けど、そこまで知ろうとする人は珍しいですよね。

私はそんな人が増えるといいなと思ってお店をやってますけど。


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2016年8月22日月曜日

アンジェロ・マンジャロッティの話 2016/8/22

今日はデザイナーさんの話なんですけどね、やけに充実した資料が手元にあったのでたくさん情報を書いてみました。

マンジャロッティさんですよ。



Angelo Mangiarotti (アンジェロ・マンジャロッティ)
1921 - 2012


1926年、彼はイタリアのミラノにある有名なパン、お菓子の家に生まれました。

母に会計士になることを薦められ同じくミラノにあるカッタニオ学校(専門高等学校みたいなもの)の会計士コースに入学志望に行き、そこで測量士コースがあることを知り、計算が好きでなはなかった彼は測量士コースを選びました。
カッタニオ学校卒業後、ブレラ芸術大学に入学し、2年間デッサンやデザインを勉強したあと、ミラノ工科大学入学しました。
入学一年後に兵役に付き、1945年から大学に戻り、1948年に卒業します。
その戦争中にドイツ兵と一緒に行動したくないという気持ちで、スイスに行き、そこでマックス・ビルさんやスイスの建築家たちと知り合い交流が出来たそうです。

1953年にアメリカに渡り、シカゴの地区コンペに参加したり、イリノエ工科大学で客員教授をするなど専門的な活動をします。そして、この時、フランク・ロイド・ライトさん、ミース・ヴァン・デル・ローエさん、ウォルター・グロピウスさん、コンラッド・ウォッシュマンさんたちと親交を結びます。
彼によると、ミースさんから強い影響を受けたそうですよ。

1955年にミラノに帰国し、ブルーノ・モスラッティさんと事務所を設立します。

1957年には彼の初期の作品で代表作の一つでもある”バランザーテの協会”をミラノに建築します。

1963-1964年 ヴェネツィア建築大学の工業デザイン専門コースにて教鞭ととります。

1982年 バレルモ大学建築学部教授に就任。

1986-1992年 コッレ・クリスタレリア社のアートディレクターを務めます。

1989年に 同年、東京にマンジャロッティアソシエイツを設立。

1989-1990年 ミラノ工科大学建築学部教授を務めます。

1997年 ミラノ工科大学建築学部工業デザイン科の教授に就任。

2002年 工業デザインにおける業績に対してミラノ工科大学建築学部より名誉学位を授与されました。


彼はにドムス・フォルニカ賞受賞、国際建築ビエンナーレ名誉賞受賞、コンパッソ・ドーロ受賞などなど多くの栄誉ある賞を授与されています。


彼の手がけた作品はHPを見ると良いですよ。
HP http://www.studiomangiarotti.com/
日本語訳されているのですごく優しいです。われわれには。


マンジャロッティさんは建築、プロダクト、デザイン、それはそれは多くの作品を手がけました。

私の専門なので家具、プロダクトのことで話しますが、彼の製品はモジュール式のデザインや角度が絶妙など、非常に建築的だと思います。
ピース上だったり、パズルの様だったり、合理的で、構造システムに優れたデザインばかりです。
それが魅力ですよね。


あまりに多くのデザインをしたマンジャロッティさんですが、最初のデザインは彼によるとKnoll社から依頼があったマーブル(大理石のこと)の花器だったそうですよ。


知ってもらいたいデザイナーの一人なので、名前だけでも覚えて帰ってくださいね。


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2016年8月21日日曜日

こんなダイニングテーブル置きますよという予告 2016/8/21

すごく良いテーブルを見つけたんですよ。
そんな予定はなかったのですが、展示する前からちょっと紹介します。

だって先日、店頭で「先にこのテーブルを知っていたらこれにしたのに。別なの買っちゃったよ。」って言われてアリャーってなったんですよ。社交辞令かどうかはわかりませんけど。

さきに知ってもらうだけでも意味があるなって思いました。


こんなブナ無垢材のダイニングテーブルです。しかも4色展開。
これは現物を一目見た時にすごくいい!って目が輝きました。

まあこの引きの写真じゃあピンと来ないかもしれないでしょうけど、とりあえずこんなのを展示して販売する予定です。

このデザインすごく良いよね、クオリティが気になるよね。
テーブル欲しいし、これに合わせたら良さそうだよね。そもそもどこの?だれの?と思う人はちょっと待ってみてください。
急いでテーブルが必要な人は諦めるか、あ、別に展示はなくても販売はもうできますけど。

お店に展示を始めたらちゃんと紹介しますね。または直接お尋ねください。

一か月後ぐらいかな?

追記 : 展示始めました http://case-study-shop.blogspot.jp/2016/09/knoll-store-201699.html

これに合わせた椅子も置きますよ。

じゃ、来週も宜しくお願いしますね。


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2016年8月20日土曜日

蓮池槇郎の話 2016/8/20

暑いですよね。夏ですよね。

今日はMakio Hasuikeさんですよ。


画像元 http://www.makiohasuike.com/en/about/
蓮池槇郎 (Hasuike Makio)
1938/1/20 ~


1938年に彼は東京で生まれました。
1962年に東京藝術大学卒業後、㈱セイコーに入社。
そこから彼のデザイナー人生がスタートし1963年にイタリアに渡りインダストリアルデザインの経験を積みます。
1964年には東京オリンピックの時計やタイマーのデザインを手がけました。
そして1968年にミラノで自身のスタジオ「MAKIO HASUIKE DESGIN」を設立します。

1982年にバッグやアクセサリーを中心とするブランド「MH WAY」をミラノで立ち上げ。

それから40年以上に渡りヨーロッパを中心にMAKIO HASUIKE & CO. ではハイテク機械から家電、家具、インテリア、アクセサリーから建築、展示デザインまで幅広く活躍されています。
日本人としては珍しく、またデザインスタジオとしても先駆け的存在のひとつでもあります。

これまでにコンパッソ・ドーロ、トリエンナーレ、ズマウといった数々の権威ある賞栄誉を取得しています。また、彼の作品がニューヨーク近代美術館でパーマネントコレクションになっていますよ。


それから、娘の蓮池ナオミさんは建築家として活躍しています。


うちの店的にはgedy社のサニタリーが関係ありますね。

彼自身のサイトに過去の作品が掲載されていたので引っ張ってきました。



画像元 http://www.makiohasuike.com/en/product-design/?page=17
いま販売されているのはごく一部ですね。1981年の作品です。
ビューティーボックスなんかはかなり好きですので、販売終了したのが残念です。
メトロポリタンギャラリーさんがもう一回頑張ってくれると良いですね。



画像元 http://www.makiohasuike.com/en/product-design/?page=18
そしてMOMAのパーマネントコレクションとなっているのがこのCucciolo Toilet Brush Holderです。
凄いデザインですよ。これは。
 
トイレブラシですよ。名前の通り。
 
 
飾らない洗練されたデザインだと思います。
 
個人的にもすごく好きですよ。
 
 
参考にどうぞ。
 
 
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2016年8月19日金曜日

ハーマンミラーテキスタイルとマハラム 2016/8/19

最近デザイナーの話が続いて、若干ブログ更新に疲れが出てきたので今日は過去の写真でも振り返ります。
3時間とかかかりますからね、更新に。普段でもブログ書くのに1時間以上かかるのに。


これハーマンミラーテキスタイルの時のアレキサンダー・ジラードさんのヤコブスコートですね。
場所はハーマンミラーアーカイブです。ミシガン本社内の。
他にもいろいろ生地が保管されていましたよ。


ちょっと詳細見てみましょう。
読めます?

当時はウールが54%でコットンが47%です。

この生地、そしてジラードさんの生地は今何度も何度も書いている通りNYのマハラムで復刻生産販売していまして、別に不思議な事でも何でもないんでけど、当時と素材は違います。

今はウールが92%とナイロンが8%です。

だから今の方が繊細で上質な手触りなんですよ。


こっちがオリジナル

こっちがマハラム
この生地なんかはいま銀のラメみたいなアレンジがされていて、当時のよりなんか奇抜です。
でも、こっちの方が元の柄の良さをさらに引き出しているように見えます。私は。

家具だけじゃなく、ファブリックも当時の良い部分を踏襲しつつ、ちゃんと現代風に素材を変えたり、アレンジをしたりされているものです。

という、だけの更新でした。


私はこういった些細な事がすごく好きなんですけど、このブログ読んでいる人はあんまり興味ないでしょうね。

この辺が私の感覚と読み手のギャップでしょうか。


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2016年8月18日木曜日

ジェンス・リゾムの話 2016/8/18

デザイナーの話ですけど、あんまり日本語での情報が無い人ほど書こうと思って更新しています。
イームズさんやネルソンさんなんかは別に私が今書かなくても何処でも書いてますし。

どこかからコピペ出来たら超楽なんですけどね。これ。


さて、今日はリゾムさんですよ。
過去に少し書いたので情報が重複しますが、これを機にまとめ直しますね。




Jens Risom (ジェンス・リゾム) ※もしくはイェンス
1916/8/5 ~

彼は20世紀のアメリカンモダンデザインを代表するデザイナーの一人で生ける伝説です。


1916年にデンマークのコペンハーゲンで生まれます。
彼の父親はデンマークの著名な建築家スヴェン・リゾムさんです。そんな父親を持つがゆえかは本人に聞いたことが無いので知りませんが、コペンハーゲン美術工芸学校に通います。
そこで、コーア・クリントさんとオーレ・ウェンチャーさんに師事します。
また、その時の同級生にハンス・J・ウェグナーさんやボーエ・モーエセンさんがいますよ。

それからニールスブロックコペンハーゲンビジネスカレッジに二年間通い、Ernst Kuhn建築事務所にて家具開発、インテリアデザイナーとして仕事を始めました。
後にストックホルムの事務所に移動し、その際にNordiska Kompanietの店舗を設計してブルーノ・マットソンさんやアルヴァ・アアルトさんから高評価を得たそうです・

1939年に彼はアメリカンデザインを学ぶためにニューヨークへ渡ります。
1941年に彼はハンス・ノルさんと会い、1942年に設立されたHans Knoll Furniture Companyのために600シリーズをデザインし、初期のKnollを支えました。

1943年に第二次世界大戦で兵役につきます。

兵役完了後の1946年、Knollに戻るのは容易でしたが、彼は1月にJens Risom Design(JRD)を設立しショールームも作りました。
家具デザイナーとして評判が上がっていくなか、彼はアメリカ国民にスカンジナビアンデザインの推進活動を始めましたよ。

1960年にプレイボーイにてアメリカンモダンマイスターの一人としてチャールズ・イームズさん、ジョージ・ネルソンさん、ハリー・ベルトイアさん、エドワード・ウォームレイさん、エーロ・サーリネンさん達と共に名を連ね掲載されました。

1970年に25年間活躍したJRDを売却し、3年間CEOを収入した後、ニューケイナンに移動してコンサルタントサービスを始めました。

1996年にこれまでの功績を認められ、デンマーク女王よりナイトの称号を授かります。

2016年8月、100歳の誕生日を迎え現在に至ります。


彼の魅力は、スカンジナビアンデザインとアメリカンデザインの融合であり、その優れたデザインはMOMAやイェール大学のアートギャラリーなど様々な有名アートスペースで展示をされていますよ。






 
ちなみに、T-170やT-539はJRDの時の家具なのでKnollじゃないんですよ。

だからライセンスとって㈱マシン・エイジで作れています。


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2016年8月17日水曜日

ヴァーナー・パントンの話 2016/8/17

今日もデザイナーの話を書くのですが、思いついた人を書いていっているので何の脈絡も連日の関連性もありません。


今日はパントンさんですけど、けっこう曖昧だったり不明瞭なことが多いです。
なぜかVERPAN本国の人から聞いた内容と、東京で2009年にあったヴァーパン展と食い違う内容があったり、資料に乏しかったり。

しかし自信ないのに書いてしまうという無謀さです。


写真はVERPAN HPから http://www.verpan.com/
Verner Panton (ヴァーナー・パントン)
1926 - 1998

デンマークの20世紀を代表するインテリアデザイナーのひとりですね。
その中で異彩を放つ人でもあります。


1926年に彼はデンマークで生まれました。
1944年にオーデンセ工科大学に通ったあと、1947年からデンマーク王立美術アカデミーで建築を学びます。
1950年から二年間か四年間のどちらの説もあるのですが、その期間アルネ・ヤコブセンさんのアシスタントをしていました。
前書きましたが、アントチェアをデザインしたとか。控えめに言ってアントチェアの開発に携わった。

いつのことかはわかりませんが、ヴァーナーさん、実はポール・ヘニングセンさんの娘と半年だけ結婚していたそうです。
そんわけで、ポールさんが義理の父なので、デザイン、家具、建築関係の人たちをいろいろ紹介されたそうです。それで様々なコネクションを得たみたいです。

後にマリアンヌさんと結婚をして生涯をともにしますよ。

1950年代中盤にはヨーロッパをバンで放浪します。

そして最終的にはスイスのバーゼルが気に入り、自身の事務所を設立してて長い月日をその場所で過ごします。

1968年(だったり1970年だったり)にケルン国際見本市にて「ヴィジョナ2」という展覧会で前衛的な空間を発表します。彼のもっとも有名な展示ですね。

パントンさんは当時の他のデザイナーや建築の流れには沿わず、常にニューマテリアルを模索していました。
色彩にも常に注意しており、当時、まずもって色彩を研究して、心に訴えかけるものをしたのはパントンさんが初めてだと言われています。

建築、内装、家具、デザインと多くの独創性あふれた作品を発表しました。


ところで、最近までパントンさんはデンマークでもあまり評価されていなかったらしいです。(VERPANの人談)
1998年にデンマーク女王よりデンマーク国旗勲章を授与され、同年デンマークのミュージアムで彼自身の展示会が開かれたことがきっかけに評価されだしたそうです。

彼本人もこの展示会のキュレーターを務めたのですが、残念ながら開催の10日前にコペンハーゲンで亡くなりました。


いま彼の作品はVitraとVERPANにて正規復刻しています。

VERPANについては以前書いた通り、マリアンヌさんが監修に携わっています。
http://case-study-shop.blogspot.jp/2016/07/201675.html

Vitraはパントンチェアを確か、ハーマンミラーのバーゼル工場で作ったことから始まったんでしたよね。

彼の作品をうまく空間に取り入れると格好良いです。


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