やっぱり読んで「へ~」って思ってもらえることが大切ですよね。
そう考えると、なんでもまた一から説明するぐらいが良いのかもしれません。
もっとこういった家具インテリアに目を向ける人が増えていかないといけませんしね。市場を広げることが大切。
Knoll aoyamaより拝借 |
1910-1961
フィンランドの建築家エリエル・サーリネンとテキスタイルデザイナーのロヤ※・サーリネンの子供でフィンランドのヘルシンキで生まれました。※Loja Saarinenを”ロヤ”と読むんだろうと私が判断しました。
13歳の時にアメリカに移住しました。
アメリカ人っぽくない名前だなって思った通りですよ、そうです、彼はフィンランドの人です。
その後ミシガン州の父が校長を務めるクランブルック美術大学で父の講座も学び、そこでチャールズ・イームズ、レイ・カイザー※と出会いました。※まだチャールズと結婚していませんので旧姓にしました。この名前も改名後ですけど。
同校に1934年にはフローレンス・シュスト(のちのフローレンス・ノル)も在籍しておりますが、フローレンスは幼いころに孤児になっておりエリエルの養女となっていました。なので、エーロは義兄ですのでここで出会ったわけではありません。もともとの仲。
エーロはパリに留学で彫刻を学んだり、イェール大学で建築の学位を取得し奨学金を貰ったりもしていました。
うちのお店的に家具の話を中心にここからは書きます。
そして1940年にMOMA(ニューヨーク近代美術館)の主催するオーガニックデザインコンペにチャールズと共同製作したプライウッドチェアがグランプリを受賞し一躍脚光を浴びたわけです。
Vitraより拝借 |
イームズとサーリネンの共作といえばイームズハウスもあるのですが、これについては以前書きました。 「イームズとサーリネンの共同設計 2016/2/16」
そんな共同で家具を作るほどの中でしたが二人は別々の道に進みます。
仲たがいしたとかじゃなくて、ただ違う道を進んだだけです。友人同士なのは変わらないです。
そのそれぞれの道がKnollとHerman Millerです。
イームズはジョージ・ネルソンからのアプローチによってハーマンミラー社とコラボレーションを始めます。
エーロはフローレンスからのアプローチによりノル社とコラボレーションを1940年から始めることになりました。
フローレンスは1940年よりノル社に入社し、先述の通りの仲なので、そういったこともあって招いたんだと想像します。
そこからエーロは15年間に渡りノル社から名作を次々に発表していきます。
有名どころだと、
Knoll aoyamaより拝借 以下同じ |
チューリップチェア
ラウンドテーブル
などなどなど。
そんな彼は建築も名作をたくさん残しているのですが、それはまた別の話としていつか書くことがあるかもしれません。
エーロ・サーリネンさんについてわかってもらえましたか?
彼の名作は昔から現在までもKnollが正規品ですよ。
最後に、彼にはエリックとスーザンの二人の子供がいます。
スーザンは残念ながら1995年に亡くなっていますが、エリックは映像ディレクターとして活躍しているみたいです。
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