チャールズ・イームズの話 2016/9/7

今日でデザイナーの話も一段落でしょうか。
今後は思いついたときにだけ書くようにします。あんまりにも大変なんですよ。


Herman Miller Japan HP引用 http://www.hermanmiller.co.jp/designers/eames.html
Charles Ormond Eames, Jr (チャールズ・オーモンド・イームズ・ジュニア)
1907 - 1978/8/21

まさしく巨匠。メージャーもメジャー。
ところでネルソンさんもジラードさんも1907年生まれですよ。


1907年 彼はミズーリ州のセントルイスで生まれました。
父親も同じ名前です。その父は私立探偵機関に所属しており、列車の警備を担当していました。どうも危険な境遇にあう仕事だったみたいです。
それで彼が10歳の時に父が銃撃で倒れ3年後に亡くなっています。

1921年 ハイスクールに入学。同時に鉄工場でも働いており、この時すでに製図工として認められていたそうです。

1925年 奨学金を貰いワシントン大学に入学します。
ですがその三年後に放校処分となります。
理由はフランク・ロイド・ライトさんを慕い過ぎて大学にライトの授業を作るように要請したりと、学校側と方針が合わなくなったからみたいです。

1929年 大学で知り合ったキャサリンさんと結婚。

この間、セントルイスの設計事務所に就職して経験を積んでいました。

1930年 友人と設計事務所を開設します。

しかし、29年からの大恐慌のあおりを受けてすごく苦しい時期だったみたいです。仕事が無い。

1932年 いろいろうまくいかなくなって精神的に落ち込んだ彼は大したお金も何も持たずに妻子を残してメキシコに旅に出ます。
8ヶ月月間、まさに宿無しその日暮らしの放浪といった状態だったみたいです。

1934年 戻ってきてから設計事務所を再開。

この時の仕事がエリエル・サーリネンさんの目に留まり、その才能を見抜きクランブルックへ招きます。

1938年(39年説有) クランブルックアカデミーに特別研究員として入学。一年後には教師になっていました。
ここでハリー・ベルトイアさん、フローレンス・ノルさん、レイ・カイザーさん、ドン・アルビンソンさん、エーロ・サーリネンさんなどなどと会うことになります。

1940年 エーロ・サーリネンさんと共同でMOMA(ニューヨーク近代美術館)が主催したオーガニックデザインのコンペに出品して二つの部門で最優秀賞をとっています。

1941年 キャサリンさんと離婚し、レイ・カイザーさんと結婚します。

そして活動をカルフォルニア州ロサンゼルスに移します。

同年 医者からの相談によりレッグスプリントの開発に乗り出します。夏には完成して量産に入り、海軍から5000個の注文が入るほどの多忙ぶりだったようです。
ここでプライフォームド・ウッド社を設立し、ハルバート・マターさんやハリー・ベルトイアさんも参加して多くの人数で作業をしていたそうですが、それでも納期に追いつかないほどでした。

1943年 資金繰りに困り、エヴァンスプロダクツ社の社長と彼は会い、プライフォームド・ウッド社の製造・販売権を買い取ってもらいます。
最終的には15万個以上生産されたらしいです。

1945年 戦争が終わり、今までデザインして作っていた家具の発表をニューヨークで行います。
その時にDCM、LCM、DCW,LCWがお披露目されました。ただこの時はまだ3本脚だったり背と座が繋がっていたりと現在と形が違います。

これが随分売れたみたいです。成功。

1946年 MOMAでイームズ展を開催。
ここにネルソンさんはハーマンミラー社社長のD.J・ディプリーさんとセールスマネージャーを誘って訪問。
その晩?ハーマンミラー社はエヴァンス社と契約します。

ネルソンさんは自分の報酬を減らしても良いから彼と契約するべきだと説得してハーマンミラー社とイームズ(オフィス)とのコラボレーションが始まります。

実は彼にはノル社からもオファーがあったんですよ。

1947年 エヴァンス社の拠点がミシガンに移ったことにより、もともとあった同社のロサンゼルス支社をイームズオフィスの拠点にします。しばらくはハーマンミラー社とシェア。通称901オフィス。
1948年 MOMAが主催したローコスト家具に参加します。
最初は背と座が一体の成型合板で説と、もしくは金属成形説の二つがあるのですが、もしくは両方とも、とにかく最初はそういった素材で作ろうと考えていたんです。でもうまくいきませんでした。
そこに助言があり、ガラス繊維が入ったプラスチック、つまりFRPでの開発を薦められます。
そうして作られたのがシェルチェアです。最初はアームシェルのみで、サイドシェルは後から作られましたよ。
ゼニスプラスチック社で製造されましたよ。

1949年 ハーマンミラー社がエヴァンス社を買収。
同年、case study house #8 & #9を設計完成。

ここから本格的にハーマンミラー社とイームズオフィスとのコラボレーションが始まり、その後、多くの家具がデザイン、リリースされました。
最初こそローコストを意識したデザインだったのですが、1956年にラウンジチェアという座り心地を求めた高コストになるデザインなど目的は多岐に広がります。

また1950年代はダイクレット社と協力して子供向けの玩具をデザインします。
ハウスオブカードもハングイットオールもこの時です。

また民芸品や旅、カメラも好きで、旅をしては民芸品を持ち帰り自宅に飾ってコレクションをしています。撮影されたアーティスティックな写真もいくつも残っていますよ。
サーカスも好きだったんですよね。

それとは別に彼はIBM社やアメリカ政府、インド政府といった大きなクライアントを持っていました。
展示やイベントなどでも彼は活躍していました。

1964-65 年 ニューヨーク万博のIBM展を手がけます。

1970年 大阪万博のIBMパビリオンのコンピューターハウス・オブ・カードを手がけます。

70年以降もルースクッションや2ピースプラスチックチェアなど少しですが家具のリリースを続けました。

彼が存命中は生涯ハーマンミラー社からしか家具の販売をしませんでした。

それから映像作家として多くの作品を残しています。60年中盤以降は特に力を入れています。
代表的なのはパワーズオブテンでしょうね。

1978年 8月21日の朝、動脈瘤による心臓発作でなくなりました。


デザインの塊みたいな人ですよね。

イームズ、イームズと名前は有名も有名で入門向け的に扱われたりもしますが、本当に彼、そして彼女の活動や功績を理解している人はどのぐらいいるのでしょうか。
彼らの作品の魅力はやはり彼らを知ってこそです。


自分で本を買うなり映画を見るなり、己で追求していくぐらいが楽しいですよ。


case study shop nagoya
愛知県名古屋市中区栄3-33-28 Uビル2F
TEL : 052-243-1950

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