しかし、昨日のバルセロナチェアの件ですけど、別の資料にはKnollからは当初クロームメッキで仕上げていたと書かれていましたよ。ステンレス磨きは1964年からだって。両方ともKnollの公式の物なんですけど、どれが本当なんですか??
Knoll Store aoyamaより http://team-net.co.jp/knoll-studio/mies-van-der-rohe/ |
Mies van der Rohe (ミース・ファン・デル・ローエ)
1886 ~ 1969
1886年 彼はドイツのアーヘンで石工の息子として生まれました。
父親のショップで働いたり、地元の会社で働いたり、その後インテリアデザイナー&建築士のブルーノ・パウルさんのオフィスで働きます。
彼は正規の学校教育を受けていませんでした。
1908-12年 Peter Behrensさんの建築事務所で働きます。
これが彼の建築人生の始まりらしいです。
1912年 自身の建築事務所を開設します。
1913年 実業家の娘と結婚。1918年離婚。
1927年 シュッツガルトで開催されたヴァイセンホーフ住宅博覧会の副会長に就きます。
博覧会ではウォルター・グロピウスさん、ル・コルビジェさんミースさんがデザインした住宅と家具が展示され、ミースさん自身も家具、住宅を展示しました。
これがいわゆるインターナショナルスタイルといわれる建築様式のスタートとなり、ミースさんも代表的建築家としての地位を確立することになったそうです。
バルセロナチェア Knoll aoyamaより |
ここにあのバルセロナチェアが展示されたんです。
1930年 トゥーゲンハット邸を設計。
ここであのトゥーゲンハットチェアが生まれますけど、いまKnollでは販売してないですね。
1930年 ドイツのあのバウハウスの3代目学長に就任します。
でもナチスの弾圧により1932年に閉校します。
1932年 ミースさん自身で私立バウハウスを開校しますが、これもなにかあって1年後に閉校を余儀なくされたそうです。
1938年 米国に亡命。
今のイリノエ大学で教鞭ととります。
1948年(47年説あり) Knoll社に家具製造権を与え彼のデザインがリリースされます。
1946-52年 シカゴのレイクショア・ドライブ・アパートメントを設計。
1951年 医者のファンズワースさんの自邸を設計。あのファンズワース邸です。
いろいろあって、いろいろもめたみたいです。
1958年 NYのシーグラム・ビルディング設計。
1968年 ベルリン国立美術館のギャラリーをデザイン。これが最後の仕事となりました。
よく近代建築の3大巨匠のひとりとしてカウントされています。フランク・ロイド・ライトさん、ル・コルビジェさん、そしてミースさん。
ウォルター・グロピウスさんを入れて4大巨匠と呼んだりもします。
彼の有名な台詞に「God is in the details」 がありますよ。
意味としては、”神は細部に宿る”です。
まあ有名な人なのでご存じのストーリーだったかもしれませんね。
じゃ、来週も宜しくお願いします。
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