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④https://blog.casestudynagoya.jp/2026/08/blog-post_17.html
話は開業時に戻ります。
書き忘れていたことがあったので、上のリンクを読んでからお読みください。
2011年6月頃に開業を決意して、7/6にオープンをさせました。
この時点で独立できるような能力や才能もお金も未来も何にもないのに、どうして独立に踏み切れたのかです。
まず、この話(6月)があった時点の私は無職かつ、前職のインテリアショップの手伝いをしていました。
実はこの時点で私は退職していました。
だって給料が1年半分払われていませんでしたし、休みも無く、何もかも業務を並行しておりいろいろ限界が来ていたからです。
そんな中に、前職の社長は自分に関係する相手にだけ支払いをして、私にだけ支払いをしなかったということが判明したことでブチ切れました。最低すぎる。
それもあり、通勤するお金も無くなったのでもう無理として退職をしました。
でも、私が退職をすると残った新人のスタッフだけではどうにもなりませんでした。
けど、この時点で閉店することが内緒で決まっていたので、最後まで片付けようと決めて手伝いをしていました。
無休も無休どころか持ち出しですが、こうした責任感を利用されたとも言えますね。人生こんなのばっかりです。
なんとか新人スタッフに未払いはさせないようにして、売り上げを作るようにも努力をして終わらせることが出来ました。
転職についても良いところに行けたようでほっとしました。
そんな私は特に先があるわけでも、就職先があるわけでもなく、ただ毎日悩んでいる状態でした。
そこに物件の話が来たわけです。
もちろん独立開業なんて自信も算段もないのですが、自分の人生も考えた時に、もう自分でお金を稼いで生きていくしか選択肢は無いと決意したんです。
結局、何処かに就職を出来たとして、給料の支払いなどを人に任せることがもう無いと、お金は自分で稼いで自分だけで完結させるべき!と決めました。
というか、私は本当にどうしようもない存在なので、就職が出来るようなことも無いですし、よくて何処かでバイトが出来るかどうかレベルの人間です。
そのうえかなり人生を棒に振ってしまったので、独立して挽回するしかないとも思いました。
もう一つ独立開業に踏み切った理由は時期です。
2008年からのリーマンショックの影響も残り、デフレ真っ盛り、そのうえ2011年3月に東日本大震災が起きた直後です。
明らかに街も元気がない状態で、当然、家具インテリア業界も弱っています。
だからこそ私は思ったんです。
「これより悪い状況にはならないな」
こうです。
つまり、いま難しいし売れないのは当たり前、だから上がっていくだけでしょ!とです。
かなり軽い考えですが、こんな決断が出来たのは私が一切テレビや新聞などメディアの類を見ない人だったからです。
実は東日本大震災も起きたことを知らないぐらいでした。
だからこそこの時代の深刻さが分かっていなかったとも言えます。
後から考えると無謀でしたが、逆にあの時代だからこその家賃やメーカーとの取引でした。
状況が上向いてからでは無理な条件でしたでしょうからね。
6月に決めて7/6オープンは期間が短すぎますが、前のオーナーが6月末に退去をする以上、間を開かずに入居をしないと条件を継続できない問題があり、7月から家賃が発生する以上はとにかく早くお金を稼ぐ必要があったからです。
そもそもデザインセンタービルの4階の前職の店舗の閉店が6/30だったので、そこから引っ越しや準備を考えての7/6でした。
なぜ私は片付けまでやらないといけないのか。
あ、もう一つ開業した理由がありました。
前職の社長に未払い給料を払わせるためです。
放っておいたら絶対に支払いをしません。
最終的に無い袖は振れません。
このお金のトラブルは独立後にも散々経験しましたが、支払わない人間からお金を回収するのは無理なんです。
人はお金が絡むと本性が出ます。
だから私は考えたんです。
私が開業をして、彼に発注や仕事を振って、そうして彼自体の収益が良くなれば私にも返ってくるはずだと。
私が発注すればするほど、利益から未払いを払ってもらおうと。
そのまま仕事をする関係は続けました。
その後も金銭トラブルが死ぬほど続き、7年後ぐらいに完済しましたね。
といって最低賃金で働いていた私の未払いですから、利息があるわけでも慰謝料があるわけでも残業代があるわけでもない金額です。
どんだけ長期間なんだと思われそうですが、ひたすら細かい支払いにしないと支払われないんですよ。
最後通告を私はしたぐらいで、それで完済まで向かいました。
私の数少ない良いところは「それはそれ、これはこれ」が出来る人間だったので、そんな相手とも仕事は仲良くやっていました。
あとはもうひたすら誇張なく休みもとらず朝から晩まで働き続けました。
正月に休んだことも開業してから数年後だったと思います。1日も休めないほど追い詰められていたので・・・
この休むことが悪のような考えが根付いたので、これは今も尾を引いています。
能力の無さを労働時間とアイデアで乗り切りました。
この状態でコロナまで迎えたので、そりゃコロナ中にさらに労働が多くなり身体を壊しますよ。
今思うと無茶でしたね。
こんなことやっていた結果今があると思うと、人生、何がどうなって繋がるかわかりませんね。
いまこんな自由に海外に行けるような状況は過去の自分からすると夢のような状況です。
みなさんありがとうございます。
また思いついたら続きを書きます。
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