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前回の記事の通り、前職が最悪な環境もあり、お金も経験も何にもないけど独立したという経緯でした。
つまり、あてもなく独立しちゃったんです。
あのビルの契約ですが、定期借家契約しかできず、それも7年契約のみでした。
明日どうなるかもわからないのに7年後までの賃貸契約をしてしまったのですが、そもそも7年という契約の理由は、あのビルが古いためどうなるかわからないから。といったものでした。古いため耐震もされていなくて取り壊しもあり得るからと。
結局その後に3年の再契約をして、また2年の再契約をして、2016年現在もあのビルは建っています。
あのビルは所有者が分かれており、とにかく複雑な土地と建物なのでうまくいかなったのでしょうね。
私は大きな地震が来たら終わりだから、それまでだなという気持ちもあり始めました。
そしたらなかったです。
そこからもうひたすら毎日働きました。
まず前職の片付けがあったので、使える物は買い取って新しいビルに持っていきました。
この時点でほぼ寝ずにやっていて、7/6からオープンを始めた後もとにかく片付けや作業や接客で毎日深夜まで働いていました。
しかも金が無くて実家から冬も関係なくバイク通勤で、朝から深夜まで働き続けました。
この年は正月も休みなく働き続け、なんとか支払いをするように頑張っていました。
翌年も休日は・・・1/1ぐらいは休んだかもしれません。
その間も出張はあったのですが、これもお金が無かったので往復の格安新幹線を買って、朝一の出発で帰りが最終とかやっていました。次の日ももちろん仕事。
これが・・・2018年ぐらいまではやっていた気がします。
年に数日は何かのようで休んだことはありますが、もうずっとひたすら本当に仕事ばかりで全てを賭けていました。
そのうえでお店でどうやって売り上げを上げるか考えたのですが、自分が営業をして売りつけるようなやり方は本質ではないと感じました。
だから私は誰とも何にも自分からは交流はせず、身内だとか地域だとか、そんなの関係なしでやっていました。
なにせ近所づきあい自体0でしたからね。
なんか、地元というか、狭いコミュニティで偉そうにしている人たちを見るのが不愉快だったので。
しらねーよ、先輩だとか、後輩だとか、そんな中でしか生きられない人たちを見るのに嫌悪感がありました。
結局私は人生で先輩や後輩という概念が無い人生でした。
なんで歳が上なだけで従わないといけないのか。
人間的に優れてない人たちを敬うのが納得できなかったです。
私は私が認めた相手とのみ関わるようにしたいです。
それで「人から選んでもらわないと意味がない!」と考えて、一方的に情報発信をするブログを中心に日々更新をし続けていました。
記事を書き続けて見つけてもらって評価されようとして、あとはひたすら現場でも何でもやって勉強と実力を身に着けていきました。
このブログがうまくいったのでお店の売り上げも何とか繋がっていきました。
それからSEOを突き詰めていって、検索で上位表示されることこそが命と考え、徹底的に対策してSEO専門家にもなりました。
そうしてコロナ渦が訪れました。
今でも覚えていますが、2020年の4月の緊急事態宣言の直前は、もう本当にお店も暇で売り上げが無くて、さらにコロナ状況によりもう終わりだと震えていました。
で、緊急事態当日、朝、珍しくワークチェアのオンライン注文が入り喜びました。
そしたら昼までにどんどん注文が入り、そこから毎日ワークチェア特需が始まりました。
お店もワークチェアを求める方々で予約が一杯になり、注文も一杯なので朝から深夜までずっと仕事をしていました。
もうひたすら問い合わせや注文をいただくので、寝る時間がなかったんです。
外出もできないので、家とお店の往復のみで、あとは仕事をするのみ。
これが2年ぐらいはずーっとキャパオーバーな状態でした。
この特需は2023年ぐらいまでは続くのですが、その前に私が過労でダメになりました。
どんどん脳がダメになっていき、とうとうまっすぐ歩くことも出来なくなりました。
自転車にも危なくて乗れない状況で、ふらふらしながら仕事をしていました。
この時からペンをもって文字が書けなくなりました。
タイピングも難しくなりました。
それで「もう働けないな」と実感したんです。
この後遺症で今も文字を書くことが難しいですし、長く働くとふらふらするようになりました。
ここで出口を考えるようになりました。
もうずっとは続けられないと。
そりゃコロナ前から休みなく働き続けていましたし、身体も壊れるよなという当たり前の話です。
夜に配達とかやっていましたしね。お店が終わった後に車を借りて家具の配達をして、その後片付けをして深夜に帰宅して次の日も朝から仕事。
あまりにも忙しい日々で不安な日々でしたが、今思うと懐かしい気持ちでいっぱいです。
それにしても昔はお金がなかったですね・・・
もう本当に苦しくて、ドラッグストアで必要なものを買うのですが、その時に草饅頭が100円ぐらいで売っているのを見て、「いつか食べれるようになりたい!」とか思ってました 笑
もやし2日に分けて食べたりとか、大変だった・・・
これが開業当初じゃなくて、2015年ごろ以降もそうでしたからね。そりゃ凹みますよ。
でもこの時の方が人生に張りがあった気がします。必死ですし、今思うと何もかもが良い思い出たと思ってしまいます。
今は困っていないので、饅頭ひとつで憧れるなんて感情無いですもんね。
それで、お店を辞めたとしても生きていける取り組みもこの時に始めました。
SEOもオンラインショップもうまくいっていたので、うまくいっているうちに辞めて次の事を考えないとと判断をしました。
だから移行する期間が長くとれたので今は助かっています。
あの時の判断が無ければ今頃やばかったです。
2026年を目安として今後の人生を考えて、徐々に実店舗を辞める方向に持っていき、とうとう2026年2月に実店舗を閉めて事務所に引っ越しをしました。
ざっと流れはこんな感じです。
思い出すことは山ほどあるのですが、書き出すときりがないので、愚痴や暴露はまたいつか書くかもしれませんね。
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